【風が還る場所】
特別章 その後のふたり/前編
あの後、海辺を後にし仲間の元へと帰った二人。
七宝と珊瑚は心配した面持ちであったが、あの有髪の法師…弥勒だけはかごめに一言安堵の言葉をかけた後、
犬夜叉の肩をとって皆より少し距離を取り、小声で何やら囁いていたのだった。






「なっ!ちっ違え!そんなんじゃねえっっ!」






獣耳まで真っ赤に焦がし否定の言葉をあげた。
いつもの様にからかわれたというところであろう。
いつも通りの喧騒であった。






さて、そんな一日を過ごした次の日の話である。
危惧していたことが起こった。






一行は、今日も宿敵・奈落を追っている。
昨日の海辺とは逆方向の深い森へと歩を進めていた。
犬夜叉を先頭に、その隣にかごめ、後方に雲母を抱えた珊瑚と七宝を肩に乗せた弥勒。
いつも通りの光景だ。






「かごめ」






ふいに声をかけたのは隣を歩く犬夜叉。
しかし、返事はない。






「かごめっ!」
「えっ?」






少し荒げた声にやっと反応を示し、慌てたように犬夜叉を見上げた。






「大丈夫か?」
「あっ、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃってた」






少し紅潮した頬を指で掻いたかごめを何処か呆れたように溜息をついた。






「そっちじゃねえ」
「へ?」
「おれが気づかねえとでも思ってんのか?」
「何の事よ?」
「ったく」






これ以上の遣り取りは無駄と思ったのか、両の手をかごめの肩と足にかけた。






「って、何すんのよ!」






いわゆるお姫さま抱っこ≠ゥごめが慌てないわけがない。
こんな風に抱えられることは初めてではないのだが、何分唐突過ぎた。
こみ上げる恥ずかしさで必死に抵抗するが、こんな状態での抵抗など無力に近い。






「るせー。ちったあ大人しくしてろ!」






手足をばたつかせるかごめの言い分など無視して、ズンズンと早足で先に進み始めた。






「ちょっと犬夜叉!何処に行くのさ!」






かごめを抱えてどんどん進んでしまう犬夜叉を呼び止めるのは珊瑚だった。






「おら達の目の前だというのによくやるのう」
「犬夜叉にしては、随分と珍しい光景ですなあ。どれ、珊瑚。私達も…」






ばこっ―――――。
飛来骨命中。






「なっ何、馬鹿なこと言ってんのさ!」






真っ赤になりながらも、犬夜叉とかごめの元に駆け寄る珊瑚。






「お前ら先を急ぐぞ。休める所を探すんだ」






すぐ後ろの珊瑚にも、それよりも後ろの弥勒達にも十分聞こえる声で投げかけた。






「休める所?」






休憩など滅多に取らない一行。
中でも、この緋衣の少年は半妖故か、疲れなど殆ど知らないも同然。
故に、自ら休もうなどと口にする事自体おかしな話なのだ。






「犬夜叉?」






首を傾げる仲間達。かごめも真横の犬夜叉の顔を覗き込んだ。






「おめえ、熱あんだろ?おれが気づかねえとでも思ってんのか?」
「あっ、その…」






そう、かごめは風邪をひいていた。
もちろん原因は昨日の一件。
夜も明けない時分から潮風に晒され、ましては肌寒い季節にも拘らず冷たい海に長いこと浸かっていたのだ。
風邪をひくのも当たり前というもの。






かごめはそれに気づきながら必死に隠していたのだ。
只でさえ体力の劣る自分が、旅路を遅れさせたくない。
これ以上、迷惑を掛けたくない。
だから、ふらつく足に力を入れ、ぼーっとする意識を戒めるように歯をかみ締めていた。
自分よりも皆。
それがかごめなのだ。






だが、それを見落とす犬夜叉ではなかった。
彼は、普段は…特に感情(色恋沙汰)というものには鈍感と言われている。
しかし、かごめの事になると誰よりも鋭い。
効きすぎるという鼻や耳で身体の変化を感じることも出来るが、
それを効かせずとも、かごめの事だけは分かるのだ。
なぜ?というのは愚問だ。答えを聞くまでもない。
それが犬夜叉なのだ。






漸く、休める所≠見つけた一行――――――。






ここは、森を抜けてすぐの村のとある屋敷。
この村一番の屋敷…と言えば想像がつくだろう。






『このお屋敷の上空に不吉な雲が…。』






法師・弥勒曰く、正当な御払いの結果なのだ。






一行に宛がわれた広間とは別室の小さな部屋。
ここにあるのは、かごめと犬夜叉の二人。
部屋を与えられ、床の準備が整うなり寝かせられたかごめ。
その床の傍らに座する犬夜叉。






「ごめん」






床に伏してすぐのかごめの言葉だった。






「謝るくれえなら無茶すんじゃねえ」






言葉は乱暴なものの、その声色は十分に優しさと労わりを感じることができた。






「……」






微かな沈黙。先に破ったのは、かごめだった。






「ねえ、犬夜叉も珊瑚ちゃん達の所へ行って?」
「あ?何でだ?」
「風邪うつっちゃうじゃない」
「おれはそんなにヤワじゃねえ」
「でも…」
「うるせえな。病人は大人しく寝てやがれ」






犬夜叉の身を案じた言葉も何の効果もないように、どっかりと座り込んだままの犬夜叉。






(そばについててくれるってこと?)






「ありがと」
「いーから、早く寝ろ!」
「うん」






真っ赤な顔をして背を向けた犬夜叉に微笑みかけるように返事して、かごめはその漆黒の瞳を閉じた。
やがて、かごめの静かな寝息が聞こえてきた。






(眠ったのか?)






そっと振り返ってみる。
かごめは瞼を閉じ、今や夢の中のようだ。






身体ごとかごめに向けて、その顔を覗きこんだ。
そっと、その額に長い爪の手を当てた。






(熱・・・やっぱあるな。)






自分が睨んだとおり、やはり熱を出していた。
添えた手を滑らせ、瞳にかかった前髪を掻き分けてやった。






同時に、眠ってくれたかごめに安堵を覚えた。






身体の心配は勿論なのだが、あのままでは正直辛かった。
それは、弥勒が聞けば健康な男児ならば至って普通のこと≠ニ言うだろう。






先程までのかごめは瞳の毒だった。
熱のせいか、うっすらと滲む汗や紅潮させた頬。
すこし不安定な息遣い。
潤んだ瞳。
熱っぽい声。






どれもこれも自分が“おとこ”だと自覚する要因ばかりだ。






まして、かごめは普段から無防備そのもの。
疑うことを知らないし、警戒もしない。






隣を歩けば、平気で腕を組んでくるし、手も繋いでくる。
ちょっとした休息の時は、自分に寄り添って肩に身を預ける。
挙句、無防備な寝顔まで晒すのだ。












わかってんのか?






お前がおれの傍で安心して居てくれることは嬉しい。






でも、わかってんのか?






おれが男だってこと。






男のおれの傍で安心しきるってのはどうかと思うぞ?






そりゃ、おれもお前の傍ほど安心出来るところはねーけど。






おれはそんなに安全に見えるのか?






それとも、男だと思ってねえのか?






わかってんのか?






おれが男で






お前は女なんだってこと












前髪を掻き分けていた手を頬に添えた。
額同様、熱の篭もる薄紅の頬。
かごめの肌はいつも欠かさない手入れの為か、白くて、柔らかくて、赤ん坊のようにきめ細かい。
軽い弾力感が己の指の腹を弾く。
それが、なんだか新鮮で何度も繰り返した。
動きの止まらない指は、更に柔らかな部分に触れた。






昨日、海で己が触れた部分だ。






その温もりを知ったのは何時のことだったか…。
それから何度この温もりに酔ったことか…。
そっとその温もりを指で辿った。
何度、求めても求めても求め止まない。






「かごめ…」






知らず知らずのうちに、身体は前のめりになり、視界がかごめの顔でいっぱいになる。






「ん…」






かごめの口から発せられた微かな声に一気に現実に引き戻された。
ハッとして身体を起こした。






(おれ、今何をしようとした?)






犬夜叉は己の行いに、かごめよりも更に頬を染めた






(かごめは寝てるってのに!しかも相手は病人だぞ!)






あまりの恥ずかしさに頭をぶんぶんと振った。
きっと、今の犬夜叉はかごめより体温が上がっているのだろう。
頭から湯気が出ていると思うほど身体が熱い。






「取り敢えず、頭冷やさねえと…」






このままだと何すっかわかんねえ。という言葉は飲み込んで部屋の障子に手をかけた。
障子に手をかけた瞬間、犬夜叉の顔が凍りついた。






「なっ、なんで、てめえがここにいんっ・・・ンぐ・・・っ」






驚いて声を高らかに上げそうな犬夜叉の口を覆った手は、弥勒のものだった。






「大きな声を出すんじゃありません。かごめ様が起きてしまわれるでしょう?」






そう言いながら、弥勒は犬夜叉をそのまま引きずって少し離れた縁側へ座り込んだ。






「・・・・・・」






少しの沈黙…。
静寂を破るように呑気な声が響いた。






「やはりお前も男だったのですな」
「なっ!」
「いけませんよ〜。病で寝込むおなごを襲おうなんて」
「てめえ、やっぱ覗いていやがったんだな!」






見られていたという羞恥心から、ついに逆ギレ状態の犬夜叉。
今にも弥勒を取って食いそうな勢いだ。






「まあ、愛しいおなごの無防備な寝顔を見せられれば当然ですけどね」
「当然って何だ!」
「何を言う。好いたおなごを欲しいと思うのは男として当然の衝動というものです。お前とて、半妖とはいえ立派な男子だろう?気に病むことはありません」






にっこりと裏のありそうな微笑を携える弥勒に犬夜叉は心の中で毒づいた。






(さも当然のように言いやがって!そんな事言っても、結局おれの反応を楽しんでいるだけだろ!その笑顔が怪しいんだってんだ!)






実際口に出来たらと思う。
だが、返す刀で再び己で弄ぶことなど目に見えていた。
この弥勒という男に、口で勝てる訳がないのだ。






弥勒も何も言い返してこない犬夜叉の様子に何か感づいたように、
湛えていた微笑を消しいつもの柔らかい表情で尋ねた。






「かごめ様のご容態は?」
「ああ。熱もそんなに高くねーし少し眠れば大丈夫だろう」






いつもの雰囲気をかもし出す弥勒に呼応するように調子を戻すように座り込んだまま腕を組んだ。
日が暮れ、辺りは深々と夜の闇に包まれはじめていた。






「よく気がつきましたね」
「何がでえ?」
「かごめ様の具合が宜しくない事ですよ」
「んなの、見りゃ一目瞭然だろうが」






当たり前だとばかりの表情の犬夜叉に少し驚きつつも、声の調子を変えることもなく弥勒は続けた。






「私も珊瑚も、誰も気づきませんでしたよ。珊瑚も本当に驚いていました」






大事な親友の不調に気づけなかった己を悔いていた・・・。
という言葉は飲み込んで。






「きっと我々を心配させまいとなさったのですな。あの方らしい」
「ああ」






いつもならここで「無理したって仕方ねえ」とか「余計な気ぃ使いやがって」といった憎まれ口を利く犬夜叉も今回の件は己にも責任があったことだと素直に返事したのだった。
まあ、憎まれ口も彼の不器用な愛情表現のひとつなのだが・・・。






「潮風に晒された・・・といったところですか?」
「おめえ、何で?」






昨日の事は誰にも言ってない。
自分とかごめが海にいたことなど知らないはずなのに・・・
まさか今みたいに覗いていたのか?と不思議そうな目で問う犬夜叉に弥勒は続けた。






「お前のように効く鼻ではありませんが、帰ってきたお前たちから潮の香りがしたからな」
「なんでえ。そーゆー事か」






ほっとしたように胸を撫で下ろす犬夜叉に、弥勒はまた意地悪そうな顔つきになった。






「何です?そのホッとした顔は。やはり、何かやましいことでもあったのですか?」
「べっ、別に何もねーって言ってんだろ!」






(お前は本当に隠し事ができない男だな。その態度では、『何かありました。』と肯定しているものだ。)






ま、そんなお前をからかうのが楽しみの一つ何ですけどね…と思いながら、
未だ、しどろもどろの犬夜叉に苦笑していた。






「かごめ様の看病は、お前に任せるとしますか。お前も二人でいたいでしょう?」






そう言って立ち上がる弥勒に慌てて口を開いた。






「別にっおれはっ」






「熱に侵されたおなごは艶かしい限りです。火照った頬に荒い息遣い、潤んだ瞳に見つめられれば理性を失うのも無理はない」
「変なこと言うんじゃねえ!このスケベ法師!」
「その変な事をしようとしていたお前に言われる筋合いはありません」






きっぱりと突き刺さる返し刀。確かに今回は弥勒の言う通りである。






「では、お大事に・・・」
「・・・・・・」






ぐっと言葉を詰まらせる犬夜叉を尻目に弥勒は、珊瑚達の待つ広間へと消えていったのだった。











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