歩を進めるたび、上履きと床がたてる擦れた音に溜め息を加えて、かごめは窓の外、遠く聞こえる下級生の掛け声を追いかけるように視線を上げた。


(どこの部だろ?)


 高校受験を翌々月に控えた師走の半ば。


 先刻までの担任との会話を思い出すとまた深く息が零れてしまう。


 私立の滑り止めを薦められたのだった。面接重視の上『推薦状も付けられるから』と担任は願書を差し出した。





 キュ。


 足音が止まる。








 進路−−−進むみち。


 私はこの先、どうしたいのだろう?


 犬夜叉はこの先どうするのだろう?


 奈落を倒して。その先は?


 私達は?


(怖い)


 生まれてから十五年。人生最初の選択だけれど、これほど迷うものなのだろうか?級友達は総じて高校進学が当然だし、強いて言えば偏差値以内で、制服が可愛い高校を選ぶかどうか位だったりするのに。


(来年の今頃って、あたし何してるのかな?)


 十五歳の誕生日に犬夜叉と逢って、四魂の玉を巡る争いに巻き込まれて...


今は自ら望んで争いの−−−犬夜叉の傍にいるけれど。


 桔梗を亡くした後は尚更、先のことが話せなくなった。彼の気持ちを聞くことが怖ろしい。


(珊瑚ちゃんが羨ましいな)


 そっと白い息を吐く。ふるり、とひとつ震えて自身を抱き締める。


 犬夜叉と出会うまで人を羨む気持ちなんて知らなかった。


 決して容易な途ではないけれど、それでも共に戦い、共に生き、生涯を誓ったひとが彼女の傍にはいる。


(私と犬夜叉ってなんなんだろう?)


 仲間?恋人?...二番目のまま?


 好きと伝えたことはあっても、伝えられたことはない。態度だっていつも憎まれ口と無愛想な表情ばかりで。繰り返す疑問は抜け出せない輪のようで、出会う順序が逆だったら、なんて出来もしない仮定さえ望んでしまいそうになる。


(−−−順番なんて彼女が居ない今、変わることはない気がする)


 マフラーを巻き直しながら、いつか交わした約束を思い出した。


『かごめは俺が守る』


 それは、いつまでの約束なのだろう?


(奈落を倒すまで? それとも...)


 きゅ、と絞るように胸が痛む。


 こうして現代(こちら)に戻ろうとする際、決まり事のように不機嫌になる彼。またか、と怒る。仲間に不満を撒き散らす。直ぐに戻れ、と命令される。


 けれど行くな、と止めなくなった−−−止めてくれない。


 犬夜叉の心が判らない。出会ってから少しずつ、弱い部分も含めて何を思い何を願うのか話してくれるようになって...そのことがとても嬉しくて幸せで。心を開いてくれた、と喜んだ日が遠く霞む。


 一度見失ったものをもう一度探す努力が今はなぜか酷く疲れて感じて、立ち竦んでしまう。








『後は切手と写真を貼れば出せるぞ』


 先生の穏やかな笑顔がどっと肩に圧し掛かる。


 なんて用意周到、というか至れり尽くせり。仕事だからなのか、厚意からなのか。どちらにしろ受けなければならない状況に変わりない。


(私立かぁ)


 予定通り公立一本でも構わないけれど、と先生は付け加えていた。けれど今年一年出席日数がぎりぎりな上、試験の度に何らかの科目が追試必至だった彼女の将来への配慮だ。


(無理よね...)


 祖父に母、弟の四人家族で、神社を生業としている我が家の家計を慮れば明白な事実だった。


(草太だっているし)


 なにより妖怪だ、四魂のかけらだ、と理解し難いかごめの状況を理解し、戦国時代とこちらの世界を行き来して過ごして来れたのは家族の協力があったからこそ。


 犬夜叉を見ても驚かない家族。ちょっと変わっているかも知れないけれど、かごめにとってとても大切でかけがえのない家族であることに変わりない。だからこそ、これ以上心配させたくない。


「ああもう。とりあえず写真よね、このまま撮りに行こ」


 頭を抱えていても、言葉にすることで背中がポンッと押される気がした。


(行く行かないは受かってからで十分)


 願書の入った鞄を一瞥し、ひとつ頷くとかごめは薄暗く蛍光灯が灯る下駄箱へと向かう。−−−すると


「!」


 夕闇がトンネルのように占拠し出した廊下のその先、まだ陽が当たる玄関口にちらり、と紅い衣が翻った。


「犬夜叉?」


 駆け足で影を追う。


「...なんでここにいるの?」


 相変わらず犬耳を申し訳程度に野球帽で隠し、むっすりと壁に寄りかかった半妖の彼が居た。身を起こす所作に合わせて腰に差した妖刀が夕陽に鈍く光る。


 悩んでいたことも忘れ思わず弾んだ言葉に、しかし彼は眉間に皺を寄せた。


「居ちゃいけねえのか」


「そんなことないけど」


 上から下、無意識に辿ってしまった視線を感じてあからさま、皺が深くなる。


「んだよ...暗くなるから、迎えに行けって言われたんでぃ」


「そう」


(なんだ)


 判っていたけれどやはり少しつまらない。思わず上履きで飛び出した自分が寂しく思えて、俯いて下駄箱まで戻るとローファへと履き替える。


(前みたいに顔が見たかった、とか言ってくれないんだ)


「かごめ」


「来てくれてありがとう。でもあたし、寄るところあるから」


 トントンと爪先を蹴って履き慣らすと俯いたまま歩み寄る。


「もう日暮れだぞ。どこ寄るってんだ」


 腕組みしたままカチカチと鳴る爪が彼の苛立ちを代弁している。目を反らした原因が自分だなんて、砂一粒分も思ってない。


「今日中に証明写真撮らないと」


「ん? 証明...?」


「願書に必要で、前に一度一緒に...て、ああ。もうっじゃあ一緒に行こ」


「なに...おい、かごめっ」


(さっきからあたし『ああもう』ばっかり)


 内心嘆息しつつ、顔中疑問符を浮かべてそれでも右袖を掴まれたままついて来る彼を視線だけで返り見て。かごめはその冷えた手を掴めない自身に、もう一度そっと息を吐いた。


【be with you】



「お待たせ」


「...おう」


 小野写真館。


 公園脇のこの写真館は、住宅地寄りにあり師走とは言えこの時間帯は人の往来がぐっと減る。商店街中央にある自動の機械を使うよりちょっと遠いけれど、ずっと犬夜叉は目立たないだろうとかごめは足を延ばしていた。


 ガラスケースの向こう側、居住いを正した老若男女が各々立派な額縁に納められて飾られた店先で待ちぼうけを食らって数十分。漸く掛けられた声に犬夜叉は目深に被った帽子の縁から通り過ぎる人間を眺めていた視線を滑らせた。


「...それが大事な用事か?」


 片手で十分足りる大きさの半透明な袋を手に現れたかごめを見下ろして犬夜叉は憮然、と尋ねた。


「うん」


「なんだよ、そんな」


「ね、思ったより早く済んだし、そこの公園に寄って帰ろうよ」


 憎まれ口と苦情ばかりが溢れ出る気配を察して、かごめは遮るように犬夜叉へ微笑んだ。


「こうしてふたりきりなの、久しぶりじゃない」


 にっこり。


 満面の笑みを残して彼を置き去りに先を歩き始める。


「...」


 五歩進んだところでウインドウ越し。伺うと大袈裟に肩を上下させている彼が見えた。六歩目、帽子を一度被り直して。七歩目、踏み出すころには二歩で距離を縮められていた。


「少しだけだぞ」


「...うんっ」


 如何にも渋々、と言った声と様子ではあったけれどそれでも望みが届いて、かごめは今日始めて心の底から微笑んだ。


「ありがとう」


頬を染めて見上げながら頷く。空気まで茜色に色を変えるかのように華やいだその笑顔に、帽子のつばの影、犬夜叉も凍えた頬をそっと温めた。








「なあ。さっきの証明、とか言うの見せろ」


 入口の自販機で温かいお茶をふたつ買うと、人目を避けて奥まった場所にあるベンチにふたり腰掛けた。自ずと犬夜叉はかごめの右側へ座る。


 温かいペットボトルは封を開けられることなく。いつまでも両手を行ったり来たり。誘っておいて何を話そうか。想いを廻らせつつかごめは空を見上げる。太陽はとっくに木々の向こうへ落ちていてその残像が幾許か、辺りを照らしている。


 もう直ぐ日が沈む。


 犬夜叉と一緒でなければこんな時間、こんな場所に居られない。それは繰り返されてきた約束の結晶なのだと、かごめは改めて認識した。そんな時だった。


「良いけど。興味あるの?」


「良いから、全部貸せ」


「? はい」


 差し出された白く大きな手のひらに四枚の写真を並べる。身体をずらすことで、時折吹く乾いた風が刺すような痛みを覚えるほど冷えていることに風下のかごめは漸く気がついた。


(風を避けてくれてる?)


「どうぞ」


「おう」


(解かんないわよ、バカ...)


 木枯しにも負けない程、ここが暖かく感じるのは夕陽のせいばかりじゃない。


 照れくさそうにその数センチ四方の写真をじっと眺める彼と、彼の頬を照らす陽光が人ではないその肌を紅く染める手伝いをしているせい。


「この絵、良く描けてんな」


(正確には絵じゃないんだけど)


 解かって貰える説明は持ち得てないし、詳しいそれが欲しい訳でもないだろうから


「写真、ていうのよ」


風にそよぐ髪を押さえながら彼の手元を覗き込む。


「ふぅん...」


「ね、犬夜叉はどれが良いと思う?」


 はしゃいで見せてかごめは問う。けれど犬夜叉は四人のかごめに見入っていた。


「...」


(こんな絵、あっちにはねえな)


 正に生き写し。


 隣の彼女をそのまま紙の中へ封じ込んだかのようなそれに驚かざるを得ない。四人のかごめは少しずつ違う表情をしていたけれど、どれも一斉に今にも動き出しそうだ。この硬い紙も不思議だった。表面がつるつるしているくせに、うっかり触れると張り付いてくる。


(これがこの世界の術。これが、かごめの世界だ)


 記憶か腕前の良い絵師に金と月日を賭して描かせる以外、その人物の姿形を伝える方法のない戦国と違って、この世界にはこうして余程の手間もなく成し得てしまうことが多い。


(遠いな)


 自分が生きてきた年月よりも更に長く続く未知の道。その先がここ−−−かごめが生まれて、生きてきた場所だ。








 奈落を倒す。


 桔梗の敵であり、弥勒の風穴をあけた原因であり、珊瑚の肉親や仲間の敵である奈落。


 奈落を倒す、その一点において共通した目的のために自分たちは組んでいる。


 ではその先は?


 少なくとも弥勒と珊瑚は将来を誓い合った仲だ。目的を成し遂げたら旅は終わる。それは、別れを意味している。


 けれども奈落を倒したとして、四魂の玉の因果はどうやって断つ。奈落と共に玉が消えるとは限らない。かごめが玉を清め続けるのか?−−−命の限り。ではその先は?


(それじゃあ終らねぇ)


『四魂の玉』その存在そのものを消し去らなければ因果を断つことも自分の旅も終らない。けれど、


(玉に力を求めてはならない)


犬夜叉は確信していた。


 どんな願いだろうと、例えそれが問われた皆が皆「正しい」と評する願いだろうと四魂の玉の力を使って成し得てしまえばそれは「間違った」願いとなってしまう。そんな気がする。


 四魂の玉の力を使わずに、その力を失わせなければ。


(終らない)


 果たして自分に出来るのかどうか、その手立てがあるのかも今は判らない。


 また玉そのものが消え失せない限り、第二、第三の奈落が生まれ玉を巡る争いも終わることはないだろう。奈落との対峙だけでこれほど辛く苦しい日々があった。そんな先行きへ伴わせても良いのだろうか。


 迷いは巡る。けれど...


(かごめとの旅は終らない)


今、唯一確かなこの結が悦びをもたらす。


(いけねぇことだ)


 道行きは独りでなければならない。移ろいやすく短過ぎる人の−−−かごめの生(いのち)をこんな修羅の道に費やして良い訳がない。なのに自分は...








「犬夜叉?」


 呼び声にはっと意識が戻る。手元から視線を戻すと、怪訝そうに顔を寄せる少女の姿がある。


「どうしたの?」


 街路灯に照らし出された黒曜石が静かに輝いている。


「ぼーとしちゃって。らしくないわよ」


 柔らかな微笑みは唯一無二のもの。離したくない。


 そっと、骨張った大きな手のひらが小さく切り分けられた写真を包み込んだ。


「...かごめ」


「なあに?」


「もし」


「もし?」


 一足早く上がった一対の月が、かごめを捕えると街灯の光を反射させてきらりと煌く。逡巡するようにゆっくりと瞬くともう次は聞かない、と断ってから迷いを問うた。


「明日、この世が終わるってなったら、お前どうする?」


「え?」


 彼の言葉に、問われた内容を理解するまでに時間が掛かった。





−−−この世が、明日終わるとしたら。





(そんなこと考えたことなかった)


 進路−−−進む高校は、この先の旅は、そんなことばかりで。


「俺は、奈落を倒す。けれど四魂の玉は消えないかもしれない」


「犬夜叉が、使うんじゃないの?」


「俺は、誰よりも強ければ良い。俺が守りたいものが守れれば、半妖だろうが妖怪だろうが人間だろうが何だって良い」


 ぐ、と手のひらを握り締める。


「玉の力を借りなくたって、俺は強くなる。そして必ず玉の因果を終わらせる」


「うん...」


 堅い拳にそっと触れる。と、見開いた黄金が優しく揺れた。


「けどどうすれば良いのか俺にはまだ分らない。玉がある限り、また奈落みてえなヤツが出てくるかもしれねぇ」


「うん」


「かごめ、お前はこの旅について来る必要はもうないんだ」


「いぬ、やしゃ」


「お前の中で、一番したいことをしろ」


 例えそれが道を別つことになっても、俺はお前が望むことを一番にしたい...一番にしよう。


「ばかね」


「!? おめぇ」


「そんなの」


 氷のよう。堅く冷えた拳に触れていた手のひらをそっと頬に寄せる。


「そんなの、決まってる」


 半妖の彼は何処も彼処も人のぬくもりを帯びては居なくて。輪郭にそって確かめるように添わせた手のひらからも体温は奪われるばかり。けれどその分、彼は何者にも負けないぬくもりを心に抱いている。


(そうだ。そんな犬夜叉だから)


「あたしはね、後悔なんてしたくないの。知ってるでしょ?」


「かごめ」


「だからいつもあたしは、あたしの一番望むことをしてる」


 ふわり、白く大きな花弁がひらく。


「犬夜叉の傍にいる」


 白い花弁は芳しい香りをのせてゆっくりと優しいぬくもりを頬へと伝える。思わずその手を掴み返しても、花弁は広がり、ぬくもりも変らずより一層深くなる。


「もうずっと前から、決めてるじゃない。犬夜叉が好きだから」


「かごめっ...」


 触れたい。


 今まで意図して閉ざしていた感情が表層へ競り上がる。咄嗟に抱き寄せた身体は想いの丈をぶつけるにはやはり頼りなくて。


 けれどもう、止められない。


 空いた腕で腰を抱き寄せると、滑るように唇を重ねていた。


「!」


 驚いて目を見開くかごめが思わず押し返す手のひらも捕えて


「ッ...!」


息の続く限り犬夜叉は口付けていた。


「なっ な、なななにすんのよッ」


 漸く開放された酸欠と異常なまでに高鳴る心臓に意識と声を掠れさせながら、夢中で叫ぶ。


「おめぇのせいだッ」


「! なんですってぇ!? なんで、こんなことまで私のせいになるのよっ...私の、」


 逸る呼吸にひとつ大きく息を吸って


「ファーストキスなのにっっ」


「ふぁ〜すと...?」


「初めて、てことよっ」


勢いで叫んでから、自覚と羞恥が一気に押し寄せてきた。首筋から鎖骨まで真っ赤になり俯いてプリーツを握り締める彼女が初々しくて、犬夜叉は頬が緩むのを必死に我慢した。


「 ...なら、ちょうどいいや」


「なにがちょうどいいのよ!」


「初めから最後までかごめの相手は俺だけってことだろ?」


「...え?」


 ぐいともう一度。引き寄せられた唇が柔らかく重なる。引き寄せられて、かごめが呆気に取られていると


「お前が最後だ」


重なる角度を変える隙間に囁かれた。


 ちゅ。と音を立ててもう一度塞がれる。熱を奪われている筈なのに、とてもとても熱いキス...


唇の稜線を辿るともう一度、塞がれる。





 これからずっと。


 最期の時まで。





「お前としかしない」


 息がかかる程、唇が近すぎてドキドキが止まらない。甘く紡がれる言葉でさえ鼓動が邪魔をして良く聞こえない。


「俺も、」





かごめと共にありたい。





 唇と唇。


 告白は濡れて赤く染まるそれに激しく伝えられた。





(終)


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【蜜色の光 闇色の瞳】みるくじゃむ様

もう!なんといいますか!素敵過ぎて言葉になりません!
こんな更新がすっかり停滞しているサイトなんかに素敵小説
を書いていただけて……感涙ですvvv



思えば犬オンリーではじめてお会いして、
そこから盛り上がって今日に至ります!
お約束してくださった小説をこうして頂けて、もう何も!
何も言葉にならないくらい嬉しくてvv



なんか私のコメント無茶苦茶な文ですね!
あまりにも素敵な犬かごで狂喜乱舞しております!!!
最早、病気の類に入るでしょう!



みるくじゃむさん!
こんなに素敵でラブラブで可愛くて……エンドレス
の犬かご話をどうもありがとうございます!



素敵過ぎて独り占めしたくなりましたが(結構本気で!)
ちゃんと公開させていただきます!



どうもありがとうございました!!!





更新 2008/04/03 23:52

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