[教育指導シリーズ]
初めての教育指導





「いっ、いやぁぁぁああああああっーーーーーーー!」









LME事務所にキョーコの悲鳴が轟いた。









かなり大規模な事務所なのだが、おそらく建物の端から端までこの叫びは響いたのではないかと思われる。










ただ誤解して欲しくないのは、この悲鳴に事件性は全くないということ。









もちろん声だけではなく、実際にキョーコの姿を目撃した人間がいるが、その者が大丈夫だろうと判断した。









だから、事件性はない。










色々面倒なので、とりあえずそういうことにしておきたい。










「な、なんで追ってくるんですかぁああ?!」










涙交じりの叫びには、必死さが滲み出ている。
キョーコは顔だけ少し後ろに向けながら、かなり高速で手足を動かした。









簡単な話だが、彼女は追いかけられている。

超とびっきりの紳士スマイルを称え、優雅に歩行している彼に。










「君こそ、なぜ逃げるんだい?」










目にも留まらぬ速さで足を動かすキョーコとは違い、蓮は実に優雅に歩行している。
コンパスの差がこの奇怪な状況を生み出したのだ。










「あなたが追ってくるからですっーーーーー!!」










何であんなに軽やかに優雅に歩いているくせに、私との距離は縮まるばかりなのっ!?
と言わんばかりの形相で、それでも必死にキョーコは逃げる。










先程ばったり出くわした蓮に、何もしていないのにいきなり“紳士スマイル”の洗礼を受け、あまりの恐怖に思わず逃げ出したのがはじまりだった。










“何もしていないのに”とキョーコは思っているのだが、蓮はそう思っていない。









思っていないからこうして追いかけているのだが、何も分かっていないキョーコは、ただ怯え逃げ惑うことで精一杯だった。










「いつかもこんな事があったわっ!そうあの時は女子トイレに逃げ込もうとしたところで捕獲されたのよっ!」










過去を回想し、同じ顛末になるまいと必死で逃れる術を考えているのだが、









もうそれ自体が無駄だということに、気がついていない時点で、キョーコの運命は決まっているのだ。










「し、しまったっ!!こっちは行き止まりっ!?」










どうすればよいか考えながら逃げてたせいで、進行方向に何があるかなど全く見落としていたキョーコは、激しく後悔をする。









逃走経路を考えるのが優先だったと。










背中にキラキラと煌くオーラを感じた。










(…お、終わったわ)










この後に待ち受ける運命を考えることさえ恐ろしくて、ただ立ち尽くすのみだった。










「鬼ごっこは終わりだよ?最上さん。」










言葉はいつも通り優しい。特殊効果がついているかの如く眩しい。









ゆえに怖い。










「あれれ?いつまで挨拶もなしで“先輩”に背中を向けている気かな?」










その囁きはまさしく死刑宣告。










(…もう…生きてる心地が…しない…)










振り向けば、そこには超とびっきりの紳士スマイルの彼がいる。
それが分かっているのに、一体誰が振り向けるのだろうか?









だが、“先輩”に礼儀を通さないという不義理ができないキョーコは、その恐怖に耐えて振り向かなくてはならなかった。










(これ以上は耐えれらない。ここは腹を括って…)










意を決したキョーコは勢いのままに振り返った。









そこには、予想していた表情でいる蓮の姿。










怖い。









とにかく怖い。










キョーコは歯を食いしばって、そのまま地にめり込むほどに頭を下げた。










「すっ、すいませんっ!!」










「なんで謝るのかな?俺に何かいけないことでもしたの?」










明らかにお怒りオーラで満ちた物言い。










「わ、わからないです!なんで敦賀さんが怒っていらっしゃるのか!だから!」










恐怖に駆られて言葉にならない言葉を続けるキョーコの表情は、今にも死にそうなほど青ざめていた。









それをじっと見た蓮が、ゆっくりとキョーコに近づく。










「ふーん。分からないんだ?よく考えてごらん?」










(や、やっぱり怒ってる!?なんで!?)










全く心当たりがないキョーコの顔色は益々悪くなるばかりだった。









本当に分からないという表情を浮かべながら、ただ戸惑うキョーコを見ていた蓮は、仕方ないとばかりにもう一歩踏み出し、今にも触れそうなくらいに顔を近づけた。










(ち…近いっ!近すぎっ!)










肌のキメまで見えるくらいに近い距離に、口から心臓が出そうになる。









声を出したくても声にならない口。魚のようにパクパクと動くだけだった。










「一昨日、君から留守電があった。それを聞いた俺は、君に掛け直した。」










はっとするキョーコ。










「でも、君は出なかったけどね。」










(そう、私は確かに一昨日敦賀さんに電話した。
 留守電にメッセージも残した。)










「あんなメッセージ残しておいて音沙汰なしなんて、どういうつもりなのかな?」










そういうことだったのか。とキョーコはようやく納得した。
殺人的に忙しい大先輩に留守電を残し、あまつさえ掛け直しさえもしなかった。










「ご…ごごご、ごめんなさいっ!!!」










眼前に蓮の顔があるため、頭を下げることはできなかったが、キョーコの表情は反省の色に染まっていた。









黒目がちな瞳にぶわっと吹き出そうなほど涙を溜め、口を波の字にしてただ許しを乞う姿。









壁際に追い込み、キョーコの左右に手をつけ、これでもかというほどに接近している蓮は、ふっと笑みを零した。










「悪いと思ってる?」
「はっ、はいっ!!!」










「もうこんなことしないって誓える?」
「も、もちろんですっ!!」










「そう。なら許してあげるよ。」











嘘つき毒吐き紳士スマイルが蓮の顔から消え、優しい笑顔が宿る。
それを確認したキョーコは、ほっとして胸を撫で下ろした。











「じゃ、あの留守電の話を聞こうか。」
「え、あ…っと…」











相変わらず壁際に追い込まれたままの状態なので、キョーコはとにかく身動きが取れない。

落ち着かなくソワソワしている様子に気づいていたが、蓮はあえて動かない。










その様子をただ楽しんでいる風にも見える。











「で、でも…敦賀さん。お仕事じゃ?」
「うん。この後すぐにね。」











「じゃ、早く行ったほうがいいんじゃ…」
「そうだね。」











と言いつつも全く動こうとしない蓮に、キョーコはだんだんと焦り始める。











(な…なんで!?どうしよ!このままじゃ動けないし!)











「わ、私も仕事なんです。これから…」
「そっか。じゃ、急がないとね。」











でも動かない蓮。










仕事には鬼の如く厳しいというのに、一体どうしたことか。
益々混乱するキョーコ。











「最上さん。今日仕事何時に終わるの?」
「へ?」











「何時に終わる?」
「は、はいっ!19時であります!」











どこぞの軍隊のような口調で、背筋をピンと伸ばして答えると、蓮はにっこりと微笑んだ。











「それじゃ、迎えに行くからココで待ってて?」
「はい?」











言葉の意味が分からず、とても間抜けな声で返事をすると、蓮は最上級の笑顔で微笑んだ。
ざざっと何かが引く音がした。
もちろんキョーコの血の気が引く音だ。











「待ってて?」
「は、はいっ!!!!!お待ちしております!!!」











先ほどよりも威勢のよい返事。
その返事に満足したように蓮は頷くと、ふっと顔を横に逸らした。











「留守電の話はそこでするとして…」
「…はい。」











ようやく逸らされた顔にホッとしたのも束の間、蓮はすぐに顔を戻す。











「教育はしっかりしないと…ね?」
「教育…?」











長く細い指がキョーコの顎にそっと添えられた。
一瞬で石化して動けなくなったキョーコは、ただ真っ直ぐに向けられる蓮の瞳を見る。










その瞳の色が変わった。











(ま…まさかっ!?)











それはかつで蓮のマンションで遭遇してしまった表情。
嘘つき毒吐き紳士スマイルでも神々スマイルでも大魔王でもない、キョーコの最も苦手な敦賀蓮。











(…夜の…帝王…)











キョーコの心臓が跳ね上がる。
常とは違った色気を帯びた瞳が、四肢の自由を奪って身動きが取れない。
眼前まで迫った香りが、声帯の感覚を奪い去った。










声が…出ない。











さらっと流れる蓮の黒髪がキョーコの栗毛の髪と混じる。










その瞬間、キョーコは両の瞳をぐっと閉じた。











ふわりとした空気が頬を掠めた。










柔らかで温かい感覚。










それが頬に触れた。











反射的に両眼を開くと、すぐそばまであった温もりがなくなっていた。
一歩先の距離まで離れた蓮が、柔らかく微笑んだ。











「なっ、な…っ…」











声にならない悲鳴。










一体何が起こったのか理解したキョーコは、頬を赤く染め上げた。
触れられ、熱のこもった左頬を抑える。











「次やったら“ココ”じゃ済まないからね?」











ちょんちょんと人差し指で、自分の左の頬を叩く蓮。











「それじゃ、また後でね。ちゃんと待ってるんだよ?」











そう言い残すと、蓮は背を向けて次の仕事場所へと言ってしまった。
その後姿が見えなくなると、キョーコはその場にへたり込んだ。











触れられた頬がまだ熱い。











「“ココ”じゃ済まないって…次やったらどこに何されんのよっーー!!」






















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【あとがき】


夜の帝王風味仕上げ
本館じゃ絶対にできません (笑)



紳士じゃなくてすみません。
管理人の妄想が爆発してますね(汗)



次はどんな話にしようか…
今から悩んでます…



作成 2007/11/12
更新 2007/11/20

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