ここはDARKMOONの撮影スタジオ。










その撮影スタジオには、スタッフの間で囁かれるある噂と暗黙の了解があった。










それは……………・・・





















【暗黙の了解】




















「これから休憩にします。撮影再開は20時を予定してますので、皆さん宜しくお願いしますねー。」










このDARKMOONの監督であり、前作「月篭り」の監督を父に持つ、緒方は順調に進む撮影に満足したように明るい声をあげた。
その声に呼応するようにスタッフや出演役者の「お疲れ様です」という声が響き、先程まで活気づいていたスタジオはシンと静まり返った。











スタジオから出てすぐにある休憩室に、続々と集まってくる出演者やスタッフ達の中でも一際目立った男がいた。
それは、このドラマの主人公である橘嘉月役の俳優・敦賀蓮だ。

抜きに出た長身と造形麗しい容貌、そして圧倒的なオーラを纏う彼は、撮影スタッフはもちろんのこと、共演する役者達の目にも留まる華やかさがあった。











蓮の隣には、これまた美形の眼鏡をかけた彼より5,6歳は上だろう男がピッタリと付いている。
並みの俳優以上の容貌を持つ眼鏡の彼は、蓮のマネージャーである社だ。










実はここだけの話だが、この社もその人柄の良さと外見でこの現場の女性スタッフには、密かな人気を集めていたのだが、担当俳優の事しか頭にない為か、その事実に社が気づくことは、多分この先もないだろう。










美男二人の傍にいるのは、数人の役者達。
まずヒロイン・本郷美月役の百瀬逸美。それから操役の大原と、ドラマ中盤より準レギュラーとして登場することになった俳優・貴島秀人と監督である緒方啓文。
このDARKMOONのメインどころが勢ぞろいしている。

一同は、窓際の一番大きなテーブルに腰掛け、一息つくと長い茶髪の逸美がきょろきょろと辺りを見回した。










「あれ?京子ちゃんは?」










スタジオを出るまでは一緒に居たはずの京子……最上キョーコの姿が、いつの間にか見えないことにようやく気がついたのは、逸美だけではなく、大原や貴島も同じだった。
三人はそれぞれの顔を見合わせてキョーコの行方を知らないかと伺うが、全員首を横に振るだけに終わった。
キョーコを探しに行こうとしたのだろう逸美が腰をあげるのと同時に、右斜め向かいに座っていた蓮が声をかけた。










「最上さんなら、すぐに来るから大丈夫だよ。」










にっこりと人当たりの良い笑顔で制され、逸美は少しだけ焦ったような声をあげると、恐る恐ると蓮の顔を見上げたのだが、既に蓮はあらぬ方向を見つめており、何かを見つけたのかふんわりと微笑んだ。










「………来た。」










蓮の笑顔の先を辿るように、逸美はこの休憩室の入り口付近を見つめると、そこには予想通りの姿があった。
黒い薔薇をイメージしたかのような丈の長いワンピースを纏う未緒………いや、キョーコの姿だった。

パタパタと軽い足取りで駆け寄ってくるキョーコは、先程、魔性の演技を見せた同一人物とは思えない程、天真爛漫な明るい雰囲気を纏っていた。










「皆さん、すみません。」










テーブルに腰掛けていた監督と女優、俳優に、ペコリと深くお辞儀と謝罪の言葉をかけて、それから事務所の先輩俳優でもある蓮に向き直ったが、先に声をかけたのは蓮だった。
蓮はキョーコの顔を見るなり、更に柔らかい笑顔を浮かべて優しいトーンで言葉をかける。










「大丈夫だった?椹さん何て?」
「あ、はい!とりあえず撮影が終わったら事務所に来てくれって言われました。」










どこか別世界を思わせるような空気を纏っているキョーコと蓮をじっと見守るのは、もちろん同席の監督と共演者達だ。
キョーコと蓮の会話に介入するという野暮はせずに、ただじっと成り行きを見守っている。










「そう。それじゃ、撮影が終わったら事務所まで送っていくよ。」
「え?いや、悪いですよ。事務所くらいちゃんと一人で行けますから!」

「夜遅くに女のコを一人で歩かせるなんて真似はできないし、事務所に寄ったら帰るのが益々遅くなるだろう?
 心配しなくてもちゃんと家まで送るから。」
「そんな心配はしてません!」

「どんな心配してるの?……あぁ、もしかして俺が君をお持ち帰りでもするかと?」
「な、ななっ!!?」










顔を真っ赤にし、激しく動揺しながら慌てるキョーコとは対象的に、紳士的な笑顔を浮かべている蓮はとても楽しそうだ。










「君が望むなら、俺は構わないけどね?」
「敦賀さんっ!!からかうのも大概にして下さい!」










あっさりと投下された爆弾も、キョーコによって、これまたあっさりと両断される。










「それで?了承してくれるよね?」
「だから私なら一人で…だい……………………!?」










そこまで言いかけてキョーコは急に黙り込んだ。そう、ぐっと息を呑みこむように。
キョーコがそうなってしまうのも仕方がないことだった。
何故なら、蓮がこれ以上ないくらいに麗しくキュラキュラとした笑顔をキョーコに向かって、突き刺すかのように放っていたからだ。










「だ、大丈夫……じゃ……ナイです……ハイ。」










顔面蒼白にし、意識が今にも飛んで行きそうな表情を浮かべながら、漸くキョーコは首を縦に振った。
それこそ、ブンブンと音が聞こえてきそうなくらいに激しく。










「よ、よろ、宜しくお願いしますっ!敦賀様!」










キョーコは、斜め45度の最敬礼で深々と頭を下げると、蓮は満足そうに微笑んだ。










「お任せください、お嬢様。」










そんな二人の遣り取りを終始見守っていた一同は、一斉に顔を見合わせると苦い笑顔を交し合った。
自分達がどんな風に見えていたかなど、露程も知らないキョーコは、テーブルの上を見渡し何かに気がついたように声をあげた。










「え、っと……皆さん、何か飲まれますか?」










飲み物がまだ用意されていなかったので、キョーコは一人一人に何を飲むかを聞いた。










「京子ちゃん。俺はコーヒーね。砂糖入りの。」
「私も同じもので。」
「キョーコちゃん。俺も同じものでお願い。」










貴島と大原、社はコーヒー砂糖入りを頼むと、その細い片手をあげて逸美と緒方がそれに続く。










「京子ちゃん、私は紅茶で。」
「じゃ、僕も同じものでお願いします。」










指折り数えながら確認したキョーコは、ついっと正面の蓮を見つめる。










「敦賀さんは…………コーヒーのブラックで良いですか?」
「うん。」
「了解です。それでは少々お待ちください。すぐにお持ちしますので。」










逸美が「私も手伝うわ」と声をかけたが、「大丈夫ですから」というキョーコの笑顔を前にやむなく折れて、立ち上がろうとした席に再び落ち着いた。
すると、今度は蓮がすっと立ち上がった。










「なんです?」
「いや別に。ただ、一人じゃ大変だろうなと思って。」










かなり胡乱気な目線を送るキョーコに対して、蓮は爽やかな微笑を送る。










「必要ないですから。敦賀さんもこちらで待っていて下さい。」
「必要ない、なんて……君も大概失礼なコだね?仮にも先輩に向かって。」










本当に失礼極まりない発言だったのだが、対する蓮は言葉ほど気にしている様子はなく、更に磨きかけたように笑顔の花を咲かせる。










「強引な敦賀さんに言われたくありません。」
「俺を強引と分かっているなら、それが無駄なのも分かっているって解釈して良いかな?」
「ぐっ……!!」










再び勃発したキョーコvs蓮の攻防も、またしても蓮の勝利に終わり、キョーコは渋々ながら蓮の“お手伝い”という申し出を受けざる負えなくなってしまった。
そして、何やらまだ何かを言い合いつつも、結局は並んで飲み物を取りに行ってしまった二人を呆然と見ていた一同は、ここぞとばかりに口を開く。










「相変わらず仲良いですよね?京子ちゃんと敦賀さん。」
「そうだね。撮影当初から仲良かったけど、改めてこうして見てみると、何か微笑ましいよね?」










どこか呑気な雰囲気を漂わせながらやんわりと話をしているのは、逸美と監督である緒方だ。










「私、何か……敦賀君のイメージが変わったわ……」
「温厚で有名な彼と、さっきの彼とは確かに別人だよなー。気持ちは良く分かるよ、大原さん。」










意外だという表情をする大原と、それに思わず賛同する貴島はうんうんと首を縦に振る。
キョーコと蓮が戻ってくる間、一同はあれやこれやと意見を交わしつつ、その度に大きな溜息を吐いたらしい。











やがて、人数分のカップを載せた四角いトレイを持ったキョーコと蓮が戻ってくると、会話もそれと同時に終わりを迎えた。

各々の飲み物を堪能しつつ、ドラマのことや最近の出来事などの話で花を咲かせていると、一人の若い男がキョーコの前で立ち止まった。
キョーコは目の前で足を止め、自分をちらちらと見ている男達を不審に思いながらもじっと見つめた。










「あの……何ですか?何か私に用ですか?」










男が一歩前に踏み出してキョーコの問いに答えるべく口を開いた。










「はじめまして、京子ちゃん。俺は一週間前からここのスタッフになった高橋。」
「はじめまして。」










突然現れた男に、キョーコは一体何だろうかと思いつつも、ペコリと頭を下げてお辞儀をした。










「えっと、高橋さん?それで私に一体……?」
「ここのスタッフになったのは一週間前なんだけど、京子ちゃんのことはキュララのCMの頃から知っていて……」










嬉々として話すこの高橋という男は、キョーコよりも4,5歳ほど上の見た目は大学生といった風体だった。
少しばかり派手な印象を受ける格好で、言葉もどこか軽さが漂っていた。
スタッフと言ってもキョーコには全く覚えがないようで、首を傾げながら「はぁ、そうですか」と気のない返事を返していた。
その様子を見守っていた一同も、「誰だ?」と互いに目で探り合っていたが、結局誰も知らないようだ。










「それで、この現場に配属されたと思ったら、ずっとファンだった京子ちゃんがいて、もし京子ちゃんさえ良かったら俺とお付き合いしてくれないかな……と思って。」










ぶほっという音と共に飲んでいたコーヒーを噴出す貴島と驚きに唖然としている大原。
逸美と緒方はなぜか赤面している。

社は驚いて呆気にとられたものの、やはり隣の男の反応が気になるのか、そろっと視線を蓮に移した。










「れ、蓮……?」
「何です?社さん。」










そこには我関せずといった態度の男が一人いた。
予想とは違う姿に思わず肩の力が抜けそうになる社だったが、思わず蓮の上着の裾を掴みぐいぐいと引っ張りながら、他の誰にも聞こえない程度の声量で口を開いた。










『るぅれーえぇん〜〜。何平然としちゃってるんだよ〜〜!
 今、あの男がキョーコちゃんに何て言ったのか聞いてなかったのかぁ〜〜?』
『聞いてましたよ。「俺とお付き合いしてくれないかな」ですよね?それがどうかしました?』

『どうかしましたじゃないだろーーーっ!?他に何か言うことはないのかっ!?』
『場所はわきまえないとダメじゃないかな、と思いますけど』

『そりゃ、そうだけど……って、ちっがーーーーーーーーーうっ!!』










あまりにケロリとした蓮の返答に、がっくりという音が聞こえてきそうなくらいに肩を落とす社。










(そうだ……そうだった!こいつはそういうヤツだったんだ!)










社の脳裏を駆け抜けたのは、軽井沢での出来事。
DARKMOONの撮影現場に突然現れた不破尚が、キョーコを連れてどこかに行ってしまった時のことだ。










周囲にいた誰もがざわめく中で、ただ一人だけ冷静に行動している男がいた。
それが蓮だった。
一番気にしているだろうはずの蓮が、特に気に留めることなく「大丈夫ですよ」と笑って見せたのを思い出した社は、同じような事態が再び起きたことに深い溜息を吐いた。










『お前は何だってそんなに平静なんだよ?……普通、もう少し焦るとか何とかないのか?』
『何を焦るんですか?あのコなら大丈夫ですって』










蓮は視線だけをキョーコとスタッフと名乗る男に向ける。
その蓮の視線を追って、社がそろりと見るとキョーコの険しい表情が飛び込んだ。










『キョ、キョーコ……ちゃん?』










あれが、たった今、告白された少女のする表情なのか、と社は自分の目を疑った。
有り得ない程に剣呑な瞳を宿したキョーコは、相手の男を排除するような空気を纏っていた。
黒い湯煙のようなオーラが漂っているように見えた社は、己の目をゴシゴシと擦ったが、そのオーラに変化はなかった。










「私は、あなたのことを存じておりませんし、初対面なのにそういう事を言ってしまう人は信用しないことにしているんです。」










きっぱりばっさりと高橋の告白を斬り捨てるキョーコに、様子を見守っていた面々は引き攣った表情を見せた。
目の前の高橋もさすがに面を食らったらしく、割と整っているその容貌に苦味が浮かんでいた。










「えっと……怒らせちゃった……かな?」
「いえ、別に怒ってはいません。」










ただ呆れはしてますけど、と決して口にしたわけではないのだが、キョーコの表情は明らかにそう告げていた。
その表情を読んだのか、高橋は焦りの色を見せたのだが、これで引こうとはせずに懸命に話を続ける。










「不快にさせたのなら謝るよ。でも、きっと俺が一番君のことを良く知っていると思うよ。
 後悔はさせないからさ、ちょっと俺と……」
「私の事をどのくらいご存知なのですか?」










謝ると言った割には、相変わらず軽い態度の高橋の発言を妨げるように呟いたキョーコの表情は、これ以上ないくらいに明るい笑顔だった。
端から見たらかなり綺麗な笑顔だろう。
その笑顔を目の当たりにした高橋は、閉鎖的だったキョーコの態度が変わったと思い、その喜びから嬉々として語りだした。










「君がデビューした時からずっと見てたんだ。キュララのCMの時は本当に可愛らしかったし、不破尚のPVの天使は震えるくらい美しかった。
 今回のDARKMOONの棘のある薔薇のような未緒もとても素敵だ。」










一気に言い切った高橋は、満足したようにほっと息を吐くと、ずっと笑顔で聞いていたキョーコを見つめた。
未緒メイクを施しながらも、可愛らしい笑顔を浮かべていたキョーコは、その表情には似つかわしくない少し落ちたトーンで高橋に語りかけた。










「それはつまり、芸能人“京子”のことですよね?」










笑顔は変わらないのに、微妙に下がった声のトーンが一気に周囲の空気の温度を下げた。
微妙な温度変化を感じたのか、高橋は言葉で返事をすることは叶わなかったらしく、一度だけ首を立てに振った。










「芸能人である“京子”と“私”は同じようで違うんですよ。」










だから、私を全部知っているというような物言いは止めて下さい、とキョーコの鋭い瞳はそう告げていた。
突き刺さるようなその瞳には、さすがの高橋も怯んだようなのだが、彼もかなりの兵らしく、唇を噛み締めてなんとか堪えきったようだ。










「じゃ、さ。友達からはじめて貰えない?それくらいならいいでしょ?」
「申し訳ないですけどお断りします。」










焦りを覚えた高橋は、とうとう軟派のような物言いをはじめた。
先程から見せていた優しそうな笑顔はすっかり失せ、残ったのは焦った男の表情。
キョーコの顔からも笑顔は消え、最初に見せた剣呑な瞳が再び宿った。










「友達もダメなわけ?どうして?」
「軟派はお断りです。」










なおも詰め寄る高橋に、黙って様子を伺っていた面々の表情が変わった。
さすがにこれ以上は見ていられない、そういった表情だ。










「高橋君だっけ?君も諦めの悪い男だな。京子ちゃんも困っていることだし、素直に引いたらどう?」










助け舟を出したのか、高橋を挑発しているのか分からないような言葉を口にしたのは、キョーコから最も離れた位置に座っている貴島だった。
だが、貴島のその言葉に反応をしたのは、高橋ではなくキョーコだった。キョーコは視線を貴島に移して、細めた瞳でじぃっと見つめる。










「貴島さん。あなたがそれを言いますか?」
「まぁまぁ、もう過去のことなんだし、あの件の事はそろそろ水に流してくれないかい?」










以前、貴島もキョーコにしつこく言い寄った事があった。
言い寄ったというか、携帯の番号を教える教えないで言い合ったと言う方が正しいだろう。
その事を忘れていないキョーコは、完全に自分の事を棚に上げた発言をする貴島を怪訝な顔で見つめていたが、貴島もかなり調子の良い男なので、そんなキョーコ視線を介せずに、高橋に向き直る。










「京子ちゃんはやめておきな。このコは、そうそう簡単にはいかないよ?
 伊達に魔性・未緒を演じているワケじゃないから、結構おっかないし。」
「重ね重ね失礼な人ですね、あなたは。」










さらりと言ってのける貴島に、キョーコは半ば諦めたような声をあげるが、当の貴島はやはり聞いていない。










「それと……京子姫には立派な騎士がいるから、下手な手出しはしないことだ。
 ……火傷じゃすまないかも知れないよ?そりゃあ、もうおっかない騎士だからねぇ〜〜」
「貴島さん!姫だの騎士だの!何をワケ分からないこと言ってるんですか!?」










キョーコ抗議を聞き流しつつ、意味有りげな笑顔を浮かべながら、貴島はその騎士の方をちらりと盗み見る。
その視線の先に映るのは、誰もが動揺している中、たった一人平然としている蓮だった。

貴島の言葉が何を意味しているのか、理解していない高橋は、それでも完全に無視されている自分の存在をキョーコに理解させようと、キョーコの腕を掴んで無理矢理自分の方へ向かせた。










「良く分からないんだけどさ。とりあえず、あっちで俺の話を聞いてよ。」
「行きません!それから、手を放して下さい!」










キョーコの抗議を介さずに、高橋は無理にキョーコの腕を引っ張り上げたところで、監督である緒方がガタっと席を立った。










「高橋君、止めなさい!」
「キョーコちゃんの手を放し……」










緒方がキョーコ腕に掛かった高橋の手を何とかしようと手を伸ばし、社が高橋を制止しようと声をあげた瞬間、大きな手がそれを阻んだ。










「………彼女を困らせるのは止めてくれないか?」










常よりもワントーンは低い声だった。
地を這うような響きとはまさにこの事だと誰もが思った。










「……くっ…!」










掴まれた腕が軋むほどに締めつけられ、高橋は苦痛に満ちたうめき声を上げた。
痺れるような痛みで思わずキョーコの腕を放すと、力のバランスを失ったキョーコの身体がグラリと揺れ、そのまま反対方向に倒れた。










「きゃっ……」










だが、キョーコの身体は床に叩きつけられることなく、温かみのある大きな身体に向かって倒れ込んだ。










「つ……るが…さん?」










キョーコの身体を受け止めたのは、高橋の腕を掴んで、キョーコを開放させた蓮だった。キョーコの身体が倒れ込むと同時に、高橋の腕を開放した蓮は、そのまま倒れ込んできたキョーコの身体を支えるように、その胸に抱きこんだ。

キョーコは倒れ込んだ先が、蓮の胸であり、しかもうっかりその膝上に乗る形になってしまった為に、完全に固まってしまった。
一方、そんなキョーコを支えている蓮はと言うと、こちらは綺麗としか言いようのない笑顔を浮かべ、目の前に突っ立ったままの高橋を見つめる。










「嫌がる女のコの腕を掴むなんて関心しないな。ほら赤くなっちゃってる。」










優しい声色が静けさに包まれた一帯に響く。
蓮は、高橋に見せるようにキョーコの右腕の袖を少しだけ捲り上げて、掴まれた白い腕の一部を晒す。
そこにはじんわりと赤く染まった手形が浮かび上がっていた。










「女優の身体に傷をつけるなんて、それでも君はこの現場の人間?」
「あ、いや……つい、カッとなって……」










高橋はさっと青くなって声を詰まらせつつ、言い訳の言葉を言い募ろうとする。
だが、それがいけなかった。










「つい………?なに?」










蓮の声のトーンが更にワントーン低くなる。
穏やかだったその表情が、能面のように感情の色を失くし無表情になった。
付近一帯の空気が、一気に数度は下がったのではないかというくらいに冷たく感じるのは、おそらく気のせいではない。










「そんな自分勝手な理由が通じるとでも?」
「……っ…!」










これまで誰も見たことがないだろう、蓮の非情な黒い瞳を真っ直ぐに向けられた高橋は言葉が出ない。
その顔面は蒼白に彩られ、額にはじんわりとした汗が滲んでいる。










「彼女は大事な共演者であり、俺の大切な後輩でもあるんだ。…………だから。」










高橋の方がビクリと跳ねた。










「…………………分かるよね?」










感情の宿らない無機質な声が無常に響き、蓮の目の前の男は、金縛りに遭ったかのように身じろぎひとつしない。
蓮はキョーコの身体を支えながら、立ち上がると場の空気に緊張したままのキョーコの肩に手を置いて、そのままどこかに立ち去ろうとする。
その様子に思わず声をあげたのは社だった。










「れ、蓮!どこに!?」










ピタリと足を止め、身体を半回転させて社に向き直った蓮は、キョーコの右手にそっと自分の手を添えた。










「心配はいらないと思いますが、一応、念の為に。」










手当て……と言うのは大げさすぎるのだが、つまりは「赤く腫れていたので冷やしてくる」という意思だ。
にっこりといつものように笑った蓮は、そのままキョーコを連れて、休憩室から出て行ってしまった。

二人が部屋から出たと同時に、緊張の糸が切れたのか、高橋はその場に座り込んだ。










「な、あれは、何だったんだ……?」










どっと吹き出る汗を手で拭い、乱れる呼吸を静かに整える。

怒鳴られたわけではない。
だが、圧倒的な威圧感があった。










呼吸さえ忘れるほどの威圧感に、高橋はすっかり呑まれてしまっていた。










「……だから言っただろう?」
「え?」










貴島が、あー怖かった、とばかりにあからさまにほっとしたような表情をしつつ、高橋に向かって呆れ交じりの声を投げた。










「火傷じゃすまないかも知れないよ?………って。」
「あ……」










何の事だかようやく合点がいった高橋は、へなへなと力が抜けたかのように頭を垂らした。










「もっとも、アレじゃ“騎士”と言うより、“魔王”って感じだけどな。」










俺の時も怖かったけど、今回の方が怖かったよ、とニヤっと笑う貴島はどこまでも食えない男だ。
貴島に告げられた言葉を、身に染みついて落ちないほどに体感した高橋は、これ以上は御免とばかりに立ち上がると、ペコリと頭を下げて立ち去った。

ようやく嵐が去った休憩室は、平穏の空気を取り戻した。











少し離れたテーブルから聞こえてくる談笑に、ほっと一息ついた面々は、すっかり冷めた飲み物を一口含むと、ほうっと息を大きく吐いた。
緊張していたのは、このテーブルに着席している全員だったのだ。










「休憩終了まであと二十分か……。」










そう呟くように告げたのは貴島。彼は自分の左腕の時計を見ながら、何か思いついたように手を叩く。










「皆さん!ちょっと賭けしません?」
「「「「賭けっ!?」」」」










驚いたように面々はそれぞれの顔を見合い、そしてテーブルに両手をついてにんまりと笑っている貴島を一斉に見る。










「………残り二十分。ココに敦賀君と京子ちゃんが戻ってくるか否か。」










左手は「戻ってくる」、右手は「戻ってこない」にしようと呼びかけ、「さぁ、どっち!?」という貴島の掛け声と共に、それぞれが片腕を高々とあげた。










「……なんだよ、これじゃ賭けになんないじゃん。」










つまらないな、と言いながらも右手を上げた貴島は、楽しそうに笑った。
それにつられるように、他の面々も楽しそうに笑う。










全員一致で掲げたのは、『右手』
つまり、『戻ってこない』だ










そして、ソレは見事に命中することになる。










蓮とキョーコが戻ってきたのは、二十分後の撮影スタジオだった。
































LMEの敦賀蓮と京子の仲が良いのは、このDARKMOONの撮影当初から知れ渡っていた暗黙の了解だった。











だが、新たに追加されたステータスが存在する。










それは……










『“未緒”には手を出すな』










『彼女には、魔王の如く恐ろしい“騎士”が“憑いて”いる』










追加されたステータスを知るのは、スタッフでも限られた一部の者達だけ。










魔王の洗礼を受けた獲物と、それに近しい人に属する者達なり。
































END























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【あとがき】


【無自覚な独占欲】とリンクしているお話になってます。




続編というほどではありませんが、
貴島さんが出演しているという意味で(笑)




先の作品は、分かりやすかったのですが、
これは少し違った毛色に見えるかもしれません。




要は、害があるかないかの差で対応が変わる!
害を及ぼした時点で餌食になってしまう…









作成日 2008/01/16 09:33
更新日 2008/03/23 23:00



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